文豪の生まれた街で、その世界観に浸る。「宮沢賢治記念館」

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幅広い年代の来館者で賑わう文学館。

日本を代表する歴史的な作家として「宮沢賢治」という名前を知らない人はいないだろう。
詩人や童話作家としてのイメージが強い宮沢賢治。「雨ニモマケズ」や「注文の多い料理店」など、有名な作品の数々はいずれも彼の死後に発見され、現在でも絶大な人気を博している。
そんな宮沢賢治の生涯を垣間見ることのできる施設「宮沢賢治記念館」が、ここ花巻にある。
記念館では、宮沢賢治の愛用品や原稿の展示、ビデオや図書資料を通して、著作の執筆、教師としての活躍、農業への尽力など、彼が生前におこなったさまざまな活動に触れることができる。
「記念館には年間およそ12万人ほどのお客さんが来館してくれます。記念館・文学館にしては、めずらしく若年層やカップルのお客さんが多いんですよ」と教えてくれたのは、この記念館の学芸員を務める牛崎さん。
平成5年から正職員として宮沢賢治記念館に在籍し、現在は非常勤として働く牛崎さんも、生粋の宮沢賢治ファンだ。
そんな牛崎さんに、この記念館が設立された経緯や、見どころ、エピソードなどを伺った。

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ゆかりの場所を、「宮沢賢治ゾーン」に。

宮沢賢治記念館の設立は、無名のまま亡くなった宮沢賢治を慕う人々の「彼の世界を継承していきたい」という声からはじまった。財団を立ち上げ、寄付金を集めて、宮沢賢治という人物と、その世界観を後世に伝えていくための施設をつくることになったという。財団が集めた資金は2億円にものぼり、施設は1982年、花巻市営の宮沢賢治記念館として設立されたのだ。 「設立する地域の候補はほかにもいろいろありました。
賢治は法華経の信仰者で、彼の手帳には、死後にお経を埋める場所の候補として32の山の名前が書かれています。
当館が建つ胡四王山もそのひとつで、彼の手帳の記述や、詠んだ歌に胡四王山がとりあげられていたことから、賢治にとってゆかりの深い場所として、この地に記念館を建てることになったんです」設立地の経緯について、牛崎さんはこのように教えてくれた。
また、開館から5年後には宮沢賢治が遺した設計をもとに再現された南斜花壇が、10年後には、宮沢賢治にまつわる芸術作品や研究論文を収集した研究施設「イーハトーブ館」が建設された。
1996年には宮沢賢治童話村ができ、いまでは記念館を中心とした一帯が「宮沢賢治のための文学ゾーン」のようになっているのだとか。童話村ができた1996年は、宮沢賢治の生誕からちょうど100年の年。
メディアなどで多く取り上げられたこともあり、その年の来場者数は63万人にも及んだという。

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遺した作品が、今を生きる人々に与えるもの。

花巻で生まれ、花巻で亡くなった、生涯を岩手県で過ごした作家、宮沢賢治。
彼の魅力について、牛崎さんはこう語る。
「地元から東京にでる作家も多かったなかで、岩手で活動し続けた彼はとてもローカルな人です。岩手という小さな世界からインスピレーションを受け、それを作品で表現していた、その想像力の豊かさにまず驚かされます」
牛崎さんは、宮沢賢治の生い立ちにも言及する。
「古着屋と質屋を営む商家の生まれで、暮らしは豊かだったといいます。そんな人生のなかで執筆してきた数々の作品は、彼が生きている間に読まれることも、評価されることもほとんどなかった。
死後、つまり当時の風潮や家柄といった余計な判断材料なしに、これほど評価される作品は、純粋に彼の作家としての豊かな感性や文才を表していると思うんです」
生前に注目されなかったとはいえ、現代でも牛崎さんをはじめ多くの人を魅了しているという事実が、彼の才能の証明だと言えるだろう。
また、この宮沢賢治記念館には、2011年の東日本大震災にまつわるエピソードもある。
震災を機に、彼の作品が読み直されるという動きがあったというのだ。
「震災復興に従事してくれたボランティアの方々が、記念館にたくさん足を運んでくれました」と、牛崎さんは当時を振り返る。
「『銀河鉄道の夜』で、みんなの幸福を願うジョバンニとカムパネルラの想いや、『雨ニモマケズ』のなかにある“東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ”と続くそこへ足を運ぶことの大切さを“行ッテ”で表し、また、“ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ”といったフレーズには、当時の出来事がだんだん風化していく感覚や孤独感に対する願いのように感じて、彼の作品や考え方に改めて深く共感する方が多くいたようです」
東日本大震災だけに限らず、彼の遺した作品がこれからも、人に気づきや癒やしを与える存在であってほしい。

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「イーハトーブ」を体感できる街、花巻。

宮沢賢治の作品を読むうえで大切なキーワードとなるのが「イーハトーブ」という言葉だ。
これは彼自身がつくった造語で、彼の心の中にあるドリームランドとしての岩手県だという。
彼の作品の多くは、生涯のほとんどを過ごした岩手県をモチーフとしており、例えば「イギリス海岸」と名付けた北上川岸辺は、童話『銀河鉄道の夜』の中では「プリオシン海岸」として登場してくる。
「実際の景色や空気を感じながら宮沢賢治の世界に触れることも、いい体験になると思います」と牛崎さん。
自然の豊かさや食べ物のおいしさのほかに、芸術的な一面もある花巻。
訪れた際には、おいしい料理といっしょに、文学の世界を体感してみてはいかがだろうか。